せいこーうどく。

ゼロから始めるフリーダムないなか暮らしの記録

f:id:kodai1988:20160822211111p:plain 新潟県十日町市より。フリーダムに生きるための田舎暮らしブログ f:id:kodai1988:20160822211206p:plain

長岡花火の夜に、音信不通のいとこに偶然再会した話。

8月2日は、日本三大花火の一角である長岡花火の日。

火の粉が降りかかるような大迫力、今年もすばらしい花火でした。

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その花火の終わった後で信じられない出来事がありました。

ずっと会えなかったいとこに、偶然再会した話です。

 

 

 

 

給食のピロシキの思い出

突然ですが、ピロシキってご存知ですか?

小麦粉の皮にひき肉やタマネギを包んで、カリッと揚げたロシア料理です。

ロシア風揚げまんじゅうですね。

 

わたしの故郷では、市内の学校給食すべてを市営の給食センターが一カ所で担っています。

そして、学校給食でどういうわけかピロシキが出るんです。年に一回くらい。

 

給食に出るそれは丸くてまんじゅうそのもののカタチをしていました。

今でも出てるのかなー。

 

 

長岡市には「ニコラス」というロシア料理のバーがあります。

ニコラス:https://www.facebook.com/nicoras0258343000

 

友人と花火を見た帰り、ニコラスに立ち寄ってピロシキとパスタをつまみに飲んでおりました。

 

友人と花火を見た帰り、ニコラスに立ち寄ってピロシキとパスタをつまみに飲んでおりました。

料理を運んできてくれたマダムに、少しだけピロシキが給食に出た思い出話をしたんですよ。

 

ちなみに、ここのピロシキはめっちゃキュートなカタチをしております。

皮もサクサク、具もぎっしりで美味いんですよねー。ワインがすすむすすむ。

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ピロシキの話をしていたら、音信不通のいとこに再会した

しばらく飲んでトイレに行ってきたあと、カウンターのマダムに声をかけられました。

「ねえちょっとちょっと!こっちのお兄さんも給食にピロシキが出てたんだってさ!」

 

 

カウンター席の端に、ヒゲを蓄えたコワモテのお兄さんが座っていました。

 

わたし「そうなんすか!もしかして地元一緒?俺○○中なんです」

お兄さん「おー○○中か!俺△△中らよ」

 

あ、顔は怖いけどすげえフレンドリーだなこのお兄さん。

 

わたし「マジっすか!いとこが△△中でしたよー」

お兄さん「へー!そいつなんて名前なの?」

 

この人いとこに年が近そうだし、小さい街だから同級生だったりするかな?

 

 

わたし「Tくんっていうんですけど、知ってます?」

 

お兄さんは目を丸くして一瞬、固まってから口を開きました。

 

お兄さん「俺」

 

わたし「えっ」

 

お兄さん「お前こーだいか!?」

 

 

 

Tくんはわたしにとって兄のような存在だった

いとこのTくんはわたしの父の姉の長男です。

 

3つか4つくらい年上で、上に兄弟がいないわたしにとっては兄のような存在でした。

小学校に上がる前の小さいころはお互いの家に遊びに行って、虫取りしたり走り回ったりして遊んでいました。

 

わたしも長男なので、時にはお兄ちゃんだから我慢しろという理由で寂しい思いをすることもありました。

泣き虫のわたしがベソをかいていたとき、Tくんが話を聞いてくれた思い出もあります。

 

Tくんといっしょに遊んでいるときは守ってもらえているという安心感がありました。

背が高くて優しくて、ケンカになることもありません。カッコイイ兄貴です。

 

 

しかし、親同士の仲が悪く、お互いの家族は少しずつ疎遠になっていきました。

わたしが小学校を卒業するころにはめったに顔を合わせることもなく、たまに会っても話すことがないような感じになりました。

 

 

 

居場所がなくてグレたTくんと、居場所がなくて優等生を演じたわたし

高校生になって、Tくんはグレました。

学校にも家庭にも居場所がなくて、グレないと心が壊れてしまう状況だったんだと思います。

 

地元ではちょっと名の知れた不良として名前が広まってしまったTくん。

たまにわたしの家に来て、ばあちゃんには会っていたようです。

しかし、それを知ったわたしの父はTくんにひどい言葉をぶつけていたようです。

Tくんはわたしの家にはもう来なくなりました。

 

 

中学生だったわたしはわたしで、学校でも家庭でも模範的な人間であることを求められました。

大人の言うことをよく聞いて口答えもしない、扱いやすい子どもでした。

 

自分の思っているままを口にすると否定されるので、家族にも友だちにも本心を見せなくなりました。

特に反抗期もないまま、楽しいとか嬉しいとか自分でもわからなくなった。

声を上げて笑うことがいけないことだと思い込んでいて、早く家族をやめて地元から出ていくことだけを考えていました。

 

「えっ!お前あのTさんのいとこなのかよ!」

同じ学校の、ちょっとヤンキー入った子たちには驚かれました。そりゃそうだ。

 

 

 

周りの大人には対照的に見えても、わたしとTくんは同じだった

いわゆる不良のレッテルを貼られたTくんと、優等生の看板を背負わされたわたし。

「そうじゃないだろ!こうしろ!」と言われたときに、徹底的に大人に逆らうことで自分を守っていたTくん。

そして、大人の言いなりになることで自分を守っていたわたし。

 

親や先生にはぜんぜん違うように見えたでしょうが、自分の人生をあきらめていたという点では同じだった気がします。

 

 

Tくんは、わたしの家族とも、そしてTくん自身の家族とも連絡を断ちました。

Tくんがどこでどうしているのか誰もわからない時間が、10年近く続いていました。

 

そして昨日の夜、ピロシキをきっかけに、偶然の再開を果たしました。

 

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大事な人には何も望まない、ただ生きてくれてるだけでいい

もしかしたらわたしの地元の知り合いも見ているかもしれないので、Tくんがどこでどうしているのかは書きません。

堅気の仕事で一生懸命に働いていることだけは記しておきます。

 

昨日の夜Tくんに会って、抱きしめて連絡先を聞きました。

ヒゲを蓄えて怖いお兄さんになっていたけど、Tくんはよくよく見たら昔と変わらない優しい目をしていました。

 

子どもらしく振る舞う子ども時代を過ごせなかった、いわゆるアダルトチルドレンは連鎖します。

わたしたちの親もまた、まわりの大人に人生を決められて、居場所を失った子どもだったのかもしれません。

 

 

だからこそ、アダルトチルドレンであることに気付いた我々には、それを次の世代に連鎖させない責任があります。

子どもたちにとって安心できる存在でいる責任があります。

 

ほんとうに愛している相手だから、何も望まなくていい。

ただ生きてくれているそれだけでいいんじゃないかな。

 

では、そろそろ2日目の花火を見に出発します!